IKIKATA

「IKIKATA」と書くと生き方を想像される方が多いと思いますが、「IKI」の部分をいろんな漢字に当てはめて書いていきます。「生き方」「行き方」「粋方」「好き方」などなど。

読書「弱いつながり」東浩紀2

読書「弱いつながり」東浩紀

ということで、

2章です

「2 観光客になる 福島」

をお送りします。

 

チェルノブイリにはツアーバスが出ており、事故を起こした四号機のすぐそばまで行けるそうです。このような場所に行けるということは、貴重な体験だろうな。

 

福島第一原発でも将来、同じようなことが起こると考えられます。」

「跡地をそのまま放置するのではなく、どのように観光地化し、事故の悲劇をどのように未来に伝えるかをいまから考えておくべきではないのか。そのシミュレーションが「福島第一原発観光地化計画」です。「ダークツーリズム」という考え方に基づいています。」p38

この考え方に共感します。私にできることは何なんでしょうか?

私はこの「福島第一原発観光地化計画」という言葉、初めて聞きました。

これはもっと広げていくべき言葉ではないかと思います。

 

チェルノブイリの他に、ケネディ宇宙センタースマトラ沖地震の「アチェ津波博物館」の例を取り上げている。

 

「検索はそもそも、情報を探す側が適切な検索ワードを入力しなくては機能しません。そして、そこに限界がある。」p46

「言語の壁は、受動的に「読む」ことについては低くなりつつあるのかもしれない。しかし、能動的に「探す」ことに関してはまだまだ高いのです。」p47

その通りとしか、言えない。ここに私の考えの浅はかな部分があるように感じてしまう。でも、確かにその通りだと正直に思うんだから仕方がない。1つ言えるとすれば、翻訳技術が限りなく発達すれば、言葉のニュアンスまで翻訳できて、壁を少しづつ壊していけるかもしれないが、現在はそこまでではないので、現在を生きていくために行動していかなければいけない。

 

「いまは、特殊な経験や知識よりも、顧客の要望に応じていかに適切に探索するか、その能力こそがビジネスにおいて重要になっているということです。だからこそ、たえず新しい検索ワードを手に入れる必要がある。」p48

適切な検索ワードをもっていないと問題発見から解決までの目的を達することはできない。

始めから目的を自覚できてる場合、自分で自覚できるので、まだ、マシ。

でも、実質、目的がわかっていて、検索するということは、目的の裏付けを探しているだけだと思われるので、問題を探すということに関しては、語っていない。

問題を探して解決するということ、この問題を探すということは、自分がどの道に進むかということ。検索ワードを持っていないことによって、その道の存在自体に気づかないこと。

このようなことは世のなかにたくさんあると思われる。

検索とは、自分の中にないもの、気づかないはずの道を探すことだと思われる。

単純に視野を広げることと変わらないような気がするが、単純ではない。考えてできることではないので、単純に感じるが、偶然を探し出すことであり、考えるだけでは達成できない、行動が伴わないと達成できない、単純で難しいことなんだと思う。

 

社会学者のディーン・マキャーネルが、観光には、いろんな階級に分化してしまった近代社会を統合する意味があると述べています。」p49

今まで観光できる経済状況でない人たちが観光するようになっている。その割合が急激に増えている。そのことを言っていると思う。

 

「無責任なひとの無責任は発言こそが、みなさんの将来を開くことがあるのです。」

「ぼくは原発事故の記憶を後世に伝えるためにも、まさにそのような「軽薄さ」や「無責任さ」が必要だと思っています。福島の問題は深刻です。だから、ちゃんとコミットしろと言われると、みな腰が引けてしまいます。被災地にも行けなくなります。そしてみんな忘れてしまいます。それよりは、たとえ、「軽薄」で「無責任」でも観光客に事故跡地を見てもらって、少しでも事故について考えてもらったほうがいいのではないか。それがぼくの考えです。」p49

興味本位から現地に引き付けて、軽薄、無責任な立場で実際に来て、見てもらって、考えてもらう。

 

「世のなかの人生論は、たいてい二つに分けられます。」p50

「村人タイプと旅人タイプです。でも本当はその二つとも同じように狭い生き方なのです。」p50

「だから進めたいのは、第三の観光タイプの生き方です。」p51

「検索とは一種の旅です。検索結果一覧を見るぼくたちの視線は、観光客の視線に似ていないでしょうか。」p51

二つに分けない、村人でも旅人でもない観光客という表現と、軽薄と無責任という言葉を使って観光客に見てもらうという内容を組み合わせることで、宇宙的な無限の可能性を感じる。左右、有無などどちらかはっきりしているわけではないこと、もやもやしている宙ぶらりんのものの可能性を大きく感じることができる内容だった。

 

次回は、

「弱いつながり」の第3章

3 モノに触れる アウシュビッツ

をお送りします。

 

ブログをはじめてまだ、間もないので、

ご意見ご感想いただければ幸いです。

次回からもう少し、本文を参照している文章量を少なくして、

全体の文字数をおさえるように工夫してみようと思います。

ひきつづき、今後とも、お付き合いください。